高畠一郎先生に聞く
直撃インタビュー・シリーズ①
目覚め
Awakening

☆ その後も富山に行ったときだけお箏を習ったんですか?

― そう、次の夏休み、中学1年生の時も伯母の処に行ってお箏を教えてもらいました。そして、中学1年生のお年玉とそれからがんばってお小遣いを貯金して、中学2年生の時に自分のお箏を買いました。もちろん、両親に足らないところは出してもらいました。

 

   そんなにお箏が好きだったんですね?

― そうですね、その時はどうだったかな?覚えてない。ただ、とにかくお金を貯めました。なんとしても自分でお箏が買いたかった。貯めたのは10万円までいかないけど、そのくらいは貯めました。頑張って貯めていたのを両親もわかってくれて、不足は出してもらってやっとお箏を買いました。そのお箏は今でもお稽古で使っています。それを買ったのをきっかけに、あれやこれや家でいろんな曲を練習して独学していました。正式に習うのではなくて、趣味の範囲でやってたんです。

 

☆ 正式なレッスンを始めたのは?

― 私は神奈川県藤沢市の出身で、隣の鎌倉市には砂崎知子先生のお稽古場があって、当時はよく鎌倉でコンサートをされていたので、私も母と出かけて行ってました。砂崎先生もその頃は面白いことにいろいろと挑戦してらっしゃっていて、特にクリスマスコンサートでは、お客様に配られるプログラムの隅っこに通し番号がつけてあって、コンサートの最後にくじ引きがあるんです。今では偉〜くなっている方がその時はお手伝いでサンタさんの格好をしてレコードとかプレゼントを配ったりしていたのを覚えています。楽しかったですよ。コンサートに行ってたということは、自分もお箏をちゃんと習いたいと思っていたんでしょう。でも、さてどうしようかと迷っていて、音楽系の高校に進学しようかと思った事もありましたが、結局は進学高に入りまして、でもずっとお箏が習いたかったので、ある日突然砂崎先生に電話をかけてしまいました。それもいきなり!()「教えて頂けるでしょうか?」って。まさに怖いもの知らずですね。でも砂崎先生は、「そんなに言うなら一度来てみればどうでしょう?」とおっしゃって下さいました。その当時、私は水泳部だったので真っ黒に日焼けしていて、その顔のままで砂崎先生の門を叩いたわけです。高校2年の6月くらいだったと思います。蒸し暑い時期だったことを覚えています。初めて先生の前で「六段」を弾いたら、砂崎先生は「変な癖がついてるね、でもしっかり弾けてるから」って言われて、そしてお稽古を始めてすぐに舞台に出してもらった記憶があります。

 

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